学歴・職歴
- 1969.12
京都市で生まれる
- 1982.03
滋賀県草津市立 草津小学校 卒業
- 1985.03
滋賀県草津市立 草津中学校 卒業
- 1988.03.01
滋賀県立 石山高等学校 卒業
- 1992.03.24
京都大学 工学部 化学工学科 卒業
(反応工学研究室:橋本健治教授)
- 1994.03.23
京都大学 大学院工学研究科 化学工学専攻 修了
(プロセスシステム工学研究室:橋本伊織教授)
- 1994.04.01
京都大学 工学部 化学工学科 助手
(プロセスシステム工学研究室)
- 1996.04.01
京都大学 大学院工学研究科 化学工学専攻 助手
(プロセスシステム工学研究室)
- 1999.01.25
京都大学 博士(工学) 取得
- 1999.09 - 2000.07
客員研究者として米国オハイオ州立大学 (OSU) に滞在
- 2004.02.01
京都大学 大学院工学研究科 化学工学専攻 助教授
(プロセスシステム工学研究室)
- 2007.04.01 - 2012.01.31
京都大学 大学院工学研究科 化学工学専攻 准教授
(法改正に伴う変更)
- 2012.02.01 - pres.
京都大学 大学院情報学研究科 システム科学専攻 教授
印刷用略歴
- 加納の略歴が必要な方は,こちらの印刷用PDFファイルをご利用下さい.
加納略歴ファイル [PDF 115KB]
補足
- 草津小学校在学時は,5年生までの全学年で2学期に学級委員に選ばれた.6年生では児童会長に選ばれた.
- 草津中学校在学時はバスケットボール部に所属し,キャプテンを務めた.新聞配達アルバイトも経験した.朝4時前起床,新聞配達,部活朝練,授業(睡眠),部活,夕飯,夜9時過ぎ就寝という生活は数ヶ月しかもたなかった.
- 石山高校は自由を校風とし,生徒は学園祭と体育祭に全力投入するのが普通で,楽しく充実した3年間を過ごした.一方,3年生の3学期に理系クラスで物理の教科書を最後まで教えてもらっていないなど,決して進学校と呼べるような高校ではなかった.それでも,石山高校を選択した自分は正しかった.
- 石山高校在学時,当初は経済学部への進学を考えていた.しかし,国語と社会がどうしても面白いとは思えず,二次試験でそれらを受験するのを避けるため,理系コースへ進んだ.本来,国語も社会も大変面白く,生きる糧を与えてくれるものであるのに,なぜ,学校の授業はあれほどつまらなかったのだろうか.自分の不明を恥じる.
- 京都大学受験を決めたのは,高校3年の夏前に受けた某予備校の京都大学模擬試験で合格できると判定されたから.自宅から通学できる国公立大学という制約条件もあった.
- 大学受験当時,センター試験の後,二次試験はA,B,C日程があった.A日程で京都大学を受験した.B日程で東京工業大学に願書は出していたが,受験はしなかった.
- 大学進学時に,化学工学科(現在は工業化学科プロセス工学コース)を受験した.当時,化学工学が何かは全く知らなかった.高校3年時の担任教諭から「化学と物理をあわせたもの」と説明していただき,「それも面白そうかな」と思って選択した.
- 京都大学に入学するまでは,世間一般の評判を信じて,京都大学は凄いところだと思い込んでいた.1回生のGWの頃には,全く大したことないなと思うようになっていた.京都大学の凄さを再認識するのは,4回生で研究室配属されてから.
- 京都大学4回生時に配属された反応工学研究室は第二希望だった.厳正なる「じゃんけん」に敗れたため,第一希望のプロセスシステム工学研究室には進めなかった.それでも,第二希望の研究室に入ることができたのは幸運だった.
- 京都大学大学院修士課程時に配属されたプロセスシステム工学研究室は第一希望だった.当時,化学工学専攻では,4回生と修士課程で必ず研究室を変えなければならないというルールが存在した.ただし,大学院進学時に博士後期課程進学を表明する場合は例外とされた.
- 京都大学大学院修士課程に進学しても,大学に残るつもりは全くなかった.心変わりしたのは修士課程1年のおわり.博士後期課程に進学することを決めた.
- 京都大学大学院修士課程修了後,助手として採用されたため,正規の博士後期課程には進学することなく,いわゆる論文博士の制度を利用して博士(工学)を取得した.
- 米国オハイオ州立大学では,Dept. of Chemical Engineering の Prof. Bhavik R. Bakshi の研究室に滞在した.1999年に博士(工学)を取得した直後,「海外留学は若いうちに行かないと意味がない.必要なだけ研究室のお金を使っていいから,すぐに行け.」と教授に言っていただいた.加納が今あるのは,この教授のおかげである.この恩を返すために,後生にどれだけのことをできるかが課題である.